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考研日语203作文范例
2025-09-24 06:34:28 责编:小OO
文档
問題1

あなたは、外国の人があなたの国の母語で語りかけてきたとき、文法や言葉遣いが間違っていたら直してあげますか。それとも失礼になると考えて言わないでおきますか。

解答 直してあげる

  私は間違っていたら直してあげる。

  なぜなら、言葉の誤用に中には、相手の誤解を生んだり心を傷つけるような言い回しがあり、その不用意な一言のせいでゴミュコケーシュンに障害が生じるとしたら、本人にとっても不幸だと思うからだ。

  例えば、日本語の「あなた」という言葉は目上の人に使うと失礼になるが、欧米の人たちは誰彼の区別なく「あなた」を使う。それが初心者ならまだ許せるが、ぺらぺらしゃべる外国の人に「あなた」と言われたら、日本人は間違いなくむかっとするだろう。それは母語と関係しているのであり、何の悪意もないのだが、言われた日本人はいい気持ちがしない。こうした誤用は誰かが指摘してあげなければ、いつまでも直らない。

  従って、異なる言語や文化を持った者同士のゴミュコケーシュンが大切な時代には、自分が間違っていたら指摘してもらうし、相手が間違っていたら指摘してあげるといった率直さが美徳となると思う。

問題2

  ある外国の人は「日本人は『はい/いいえ』がはっきりしないから、理解しにくい。日本人はもっとはっきり意思表示をするべきだ」と言います、あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 賛成する

  私はこの意見に賛成である。

  確かに日本人は「はい/いいえ」をはっきり言わない傾向がある。それは相手の気持ちを傷つけまいとする「和」の文化と言われるものだろうが、私たち外国人には賛成なのか反対なのか、好きなのか嫌いなのか、とても判断しにくい。

  例えば、以心伝心とか、言葉を使わずに察しあう習慣は、日本社会のような同質性の高い同一民族社会では可能かもしれないが、私の国中国のように文化が異なり、言語が異なる多民族が暮らす社会ではほとんど不可能だと思う。きちんと意思表示しなければ、コミュニケーションが成立しないのである。今の日本も国際化が進んでおり、多くの外国人が住み、異文化間の交流が日常化している。そんな国際化時代には、はっきりとした意思表示や自己主張ができなければ、他人からも認めてもらえなくなるのではないか。

  従って、私は日本人にはもっとはっきり意思表示できるようになってほしいと思う。

問題3

  日本には昔からクジラの肉を食べる習慣がありますが、現在は食用としての商業捕鯨は全て禁止されています。あなたはこの商業捕鯨の一律禁止についてどう考えますか。

解答 賛成する

  私は商業捕鯨の一律禁止に賛成である。

  なぜなら、クジラは繁殖力が低いので、捕りすぎると資源の回復が遅いからであり、また、クジラは経済的価値が高く、商業捕鯨を一旦認めると、乱獲されやすいからである。

  例えば、1946年に「国際捕鯨条約」が締結されたが、その後も乱獲が続き、クジラを絶滅の危機に追い込んだのは周知の事実である。捕鯨国代表は、カンガルーと同様に間引きが必要なまでに鯨が増えているとし、商業捕鯨の再開を主張しているが、鯨の生息数に関して、科学的に確定した合意が得られているわけではない。また、捕鯨反対派に対して「食文化への干渉」と言うが、IWCが原住民の生存捕鯨を認めているように、食文化まで否定しているわけではない。乱獲を防ぐための国際的管理が確立されない状況下で、商業捕鯨が再開されることに反対しているのである。

  従って、私は現状における商業捕鯨の再開に反対する。

問題4

  「言語や宗教、生活習慣など、民族間の文化的な違いが生む確執こそ、現代の地域紛争を生む最大の原因である」という意見があります。あなたはこの意見をどう思いますか。

解答 反対する

  私はこの意見に反対である。

  なぜなら、現代の地域紛争は単に宗教や言語の差異から起こるのではなく、主に経済・政治的理由から生じているからである。

  例えばパレスチナ問題である。「パレスチナ人」という民族概念もユダヤ人国家イスラエル誕生で土地を追われ、難民となった人々の共通の運命をてこに形成されたのであり、歴史的にも新しい事態である。それ以前のパレスチナでは多数派であるイスラム教徒と、少数派であるキリスト教徒やユダヤ教徒が住んでいたが、人々は宗教や民族の違いに関わらず、共存して暮らしていたのである。また、アフリカ各地で部族間紛争が頻発しているが、そもそもヨーロッパ列強がが植民地化のために諸部族や諸民族の暮らしを無視して、人為的に引いた国境線が原因となっている。

  従って、文化や宗教の違いがあっても人々は棲み分けし共存してきたのであり、文化の違いが地域紛争を生んだのではないのである。

問題5

  ごみ減量やリサイクルを促進するために、残飯や紙、プラスチック容器などの一般家庭ゴミの回収も有料化するべきだという意見があります。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 賛成する

  私は一般家庭ゴミの回収有料化に賛成である。

  なぜなら、ゴミを捨てるのにお金がかかれば、市民もゴミの分別やリサイクルに関心をもつし、ゴミ減量にも目に見える効果が期待できるからだ。

  例えば、家電ガミの回収の有料化によって、家庭から捨てられる家電は半減したし、家電メーカーでも使える部品を再利用して製品として再生するなどの取り組みが進んだ。同様のことは家電ゴミ以外でも起こると思う。食べ物を無駄にしていないかとか、使い捨てのプラスチック容器のように、使い捨てとなり、再利用が困難なモノを作っていないかなど、消費者からの生産現場への問題提起となり、リサイクル社会への移行が進むに違いない。確かに、家計の負担は増える。しかし、今までもゴミ処理費を税金として住民が負担していたことに変わりはなく、住民自身、その長短を考えるべきだろう。

  以上の理由から、私は一般家庭ゴミの回収有料化に賛成する。

問題6

  「地球温暖化を防ぐためにも、できるだけ自動車や電気を使わない生活をするべきだ」という意見がありますが、あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 人々の意識

  私はこの意見に賛成である。

  なぜなら、地球温暖化の最大の原因は、今日の「消費は美徳」とする大量消費型社会にあり、エネルギー浪費型の生活スタイルにあると思うからだ。

  例えば、自動車がなければ本当に生活できないのか。クーラーがなければ生きていけないのか。極論すれば、それらはなくても生きていけるはずだ。しかし、水、空気、土地、太陽、植物といった自然が壊わたら、人は生きていけない。せめて、近くの移動は自転車を使い、多少の暑さ寒さに耐えるぐらいのことはできることだ。自然は有限であり、どこかで人類が欲望を自制することを学ばなければ、人類もまた恐竜の二の舞になるだろう。この地球には、60億人を越す人類が、先進国並みの消費生活を享受できるような余地はないのである。

  従って、私は未来の子孫のためにも、可能な限り車や電化製品に頼らない生活をすべきであり、資源リサイクル型社会を目指すべきだと考える。

問題7

  最近、電子辞書が普及していますが、あなたは外国語を学習するとき、普通の印刷された辞書と電子辞書と、どちらが勝っていると思いますか。

解答  普通の辞書

  私は外国語の学習には、印刷された普通の辞書の方が勝ると考える。

  なぜなら、単に意味を調べるだけなら電子辞書の方が便利だが、言語学習には語彙や例文を覚えるための練習があり、そのためには下線を引いたり、メモしたりできる辞典の方がいいと思うからだ。

  例えば、外国語を学ぶための教材に電子教科書が使われないのは、言語習得には手で書いたり、声を出して反復したり、教師の説明をメモしたりと、様々な作業が必要だが、電子教科書ではそれができないからであろう。また最近、電話を記憶させておける携帯電話が普及したために、人は相手の電話を覚えなくなったと言われるが、同様のことが外国語学習でも言えそうである。人は易きに流れるものであり、便利になればなるほど、機械に頼り、覚えたり考える努力をしなくなるものだからである。

  従って、言語学習には、日々の努力の跡がまざまれる普通の辞書の方が勝ると思う。

問題8

  ある人は、「子供に悪い影響を与えるテレビ番組は、法律で規制するべきだ」と言います。ある人は、「表現の自由を侵害することになるので、テレビ番組を規制するべきではない」と言います。あなたはどちらの意見に賛成しますか。

解答 規制すべきだ

  私は、「子供に悪い影響を与える可能性のあるテレビ番組は法律で規制すべきだ」という意見に賛成する。

  なぜならば、テレビの番組は、見たい人だけが足を運ぶ劇場や映画館とことなり、誰もが見る可能性がある自宅に、一方的に送られてくるものだからである。露骨なベッドシーン、残酷な暴力シーンなど、明らかに子供に有害と思われる番組が、野放しにされているのは好ましいことではない。

  「殺人者をテーマにした番組を見た子どもが、全員人殺しをするわけではない」が、犯罪行為を英雄のように描く番組や、暴力礼賛のような番組が、子供たちに何の悪影響も与えないと断言できるのだろうか。また、正しいかどうかを疑う確かな目が、まだ養われていない子供には、発展段階に応じた情報や内容が提供されるべきだろう。

  従って私は、子供に悪い影響を与える番組を規制することは、子どもたちの健全な感受性を養う上で、必ずポラスに働くと思う。

問題9

  将来、学生はコンピュータなどの情報機器を使った在宅学習か、従来通り学校に通って受ける学校教育かを自由に選択できるようになるでしょう。その場合、あなたはどちらを選びますか。

解答 学校教育

  私は学校教育を選ぶ。

  なぜなら、共通の学びの場である学校という集団生活の中でしかできないことがあると思うからである。例えば、友との交流や、クラスのみんなが力を一つにして何かを実現する喜びなど、自宅に引きこもっていただけでは味わえないことである。

  確かに今日の学校では、いじめ、不登校、暴力などの様々なことが起こっている。私自身、学校の勉強が楽しいわけでもないし、学校という集団生活の中では、煩わしいこともあれば、自分の思い通りにならないこともある。しかし、人は一人では生きていけないし、人との関係に中でこそ喜びもある。また、学校といういろいろな個性が出会い、集団で生活する経験を通して、私たちは実社会で生きる力を身につけるのではないだろうか。これらのことは、ひとりでパソコンに向かい在宅学習をしているだけでは、決して学ぶことはできない。

  以上が私が学校教育を選ぶ理由である。

問題10

  あなたは、情報源として、新聞とテレビと、どちらの方が信じられると思いますか。どちらかと選んで、あなたの意見を書いてください。

解答 新聞

  私はテレビよりも新聞の方が信用できると考える。

  なぜなら、新聞は速報性よりも、事実を正確に伝え、解説することを目的としているからであり、テレビよりも感情や過剰な脚色を交えぬ報道ができるからだ。

  例えば、アメリカの同時多発テロ事件の報道にしても、テレビではアナウンサーが絶叫し、センセーシュナルに報道していたが、映像や音声があるおかげで臨場感はあるものの、実際の被害はどうなのか、どうしてこのような事件が起こったのかなど、冷静になって知りたいと思う、やはり翌日の新聞を読むことになる。やはり、文字を中心とする新聞の方が、活字化するという作業の中で言葉が選ばれ、事実や論評げのチエックが働くからだと思う。確かに、新聞にも誤報がないわけではないが、テレビのように視聴率を稼がんがための演出や「やらせ」が少ないぶん、信びょうせいも高くなる。

  従って、私はテレビよりも新聞のほうが信用できると考える。

問題11

日本では学校教育法(第11条)で体罰を禁止されていますが、「ケースによっては、体罰が必要なこともある」と主張する人がいます。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 反対意見

  私はこの意見に反対である。

  なぜなら、体罰というの外からの強制であり、このような他律的な強制力では自覚的規律の育成は不可能だと考えるからである。

  例えば、これは実際の話であるが、学校でいじめ事件が発生し、いじめた者たちを生活指導の教師が体育館に何時間も正座させ、姿勢が崩れた者を竹刀で打つという体罰を加えたことがある。それで、いじめがなくなったかというと、結果は全く逆であり、よりいじめは陰惨となり、巧妙となった。体に傷が残らないようないじめが、訴えた生徒に加えられたのである。この一例を見ても、体罰が有効でないばかりか有害であることがわかる。

  私は教室で騒いだり、喧嘩をした生徒を教室に立たせたり、運動場を走らせたりする程度のことまで体罰とは言わない。しかし、一旦制度として体罰が認められれば、それが過剰に行使される危険の方が大きい。

  従って、私は体罰を認めることに反対である。

問題12

  「今の大学入試制度を廃止し、一定の成績で高校を卒業した学生には誰でも大学進学の資格を与え、卒業を厳しくする方式に変えていくべきである。」という意見があります。あなたはこの意見に賛成しますか、反対しますか。

解答 反対意見

  私はこの意見に反対である。

  なぜなら、競争こそ進歩の原動力であり、努力した者が報われ、能力のある者がよりその能力を磨けるいい大学に進学するのは当然の権利だと考えるからだ。

  例えば、大学が成績の善し悪しを基準にしないで、誰でも学生を受け入れるとしたら、大学ではその水準に合わせる授業が必要となるため、授業レベルは低下し、学習意欲も高く能力もある学生は犠牲にされることになる。中高生たちは、「勉強は大学に入ってからでもいいさ」と怠けるようになるのではないだろうか。安易さは堕落を生む。

  この競争社会では安易な道はない。勝ち残るためには努力が必要なのである、それは、中等教育でも大学でも、そして社会に出ても、連続的に続くプロセスなのである。むしろ、受験競争を悪としたり、能力主義を否定したりする戦後学校教育の悪平等主義こそが、教育荒廃を生んだと考える。

  従って、私はこの意見に反対である。

問題13

  規則は厳しいが、有名大学への進学率が高い受験重視の学校と、進学率は余りよくないが、規則は緩やかで子供の自主性を尊重する自由な学校があるとします。もしあなたが親なら、自分の子供をどちらの学校に通わせますか。

解答 自由な学校

  私なら、子どもの自主性を尊重する自由な学校に通わせる。

  なぜなら、人間にとって幸せとは、いい大学を卒業して、一流企業に就職し、高い地位につくことにあるとは限らないからである。

  例えば、ラーメンづくりに情熱を注ぎ、少しでもおいしいラーメンを作りたいと日々努力している人は、大会社の社長や大学教授よりも不幸せだと言えるだろうか。豪邸に住む人々が、平凡なサラリーマン家庭よりも幸せだと言えるだろうか。

  人は強制されて何かをしているとき、幸せを感じはしない。また、人は自分自身が選んだ好きな道に打ち込むことを通してしか、自分の能力を開花させることはできない。それはこども自身がつかみ取るものであり、親が自分が望む「幸せの形」を押しつけるべきではない思う。

  従って、親は子供自身が自分の好きな道を選べるように、寛大で自由な学習環境を与え、子どもを信じて、温かく見守ってやることが大切なのである。

問題14

  いじめ問題にかんしては、「いじめる方だけでなく、いじめられる方にも原因がある」という意見があります。あなたはこの意見についてどう思いますか。

解答 賛成意見

  わたしは「いじめられる方にも原因がある」と思う。

  なぜなら、いじめには、いじめる者、いじめられる者、いじめを傍観したり見て楽しんでいる者という三つの当事者が存在すると思うし、いじめはこの三者の複合的な産物だと思うからである。

  例えば、いじめる者がターゲットを絞るときには、「いじめても反撃されない」「親しい友だちやグループがいない」「先生に言いつけたりしないだろう」などのずるい判断が働いているはずだ。少なくとも、自分よりもちからが強く、クラスでも信望がある者をいじめの対象にはしない。これを逆に言えば、いじめられる対象に選ばれたのは、「いじめられやすい者に見られる共通の傾向」が何か存在していたことがわかる。つまり、いじめを生む原因は、三者それぞれにあるのである。

  従って、私はいじめを解決するためにも、加害、傍観、被害という連鎖構造を生む三当事者それぞれの中に、原因を求める必要があると考える。

問題15

  「みんなが共通の科目を学ぶのは義務教育である中学校までとし、高校からは学生に科目選択の自由を与え、好きな教科だけを学べばいいようにするべきだ。」という意見があります。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 反対意見

  わたしはこの意見に反対する。

  なぜなら、現代社会を生きるには、英語、コンピューターなどの技能以外にも、最低げんそなえておくべき教養というものがあり、そうでなければ国際化に対応できないと考えるからである。

  例えば、理工系に進むから、国際社会や異文化に関する知識は必要ないということになるだろうか。技術者として活躍するには、諸外国の技術者との交流はさけてとおれず、共同研究する機会も増える。その際、専門分野で優れた力をもっていればいいということになるだろうか。

  確かに、ひとりひとり、個性や適性が違うのであるから、何を学びかということについて、できるだけ学生に選択の自由があっていいと思う。しかし、情報化、国際化時代に生きるために必要とされる一定の教養や知識というのはあるのであり、それを共通科目とするのは当然だと考える。

  従って、わたしはこの意見には反対であり、共通科目と選択科目の二本立てが適切と考える。

問題16

  あなたは仕事か家族か、どちらかを選ばなければならないような人生の岐路に立たされたとき、どちらを選びますか。

解答 家族を選ぶ

  わたしは家族の幸せの方を選ぶ。

  なぜなら、血縁で結ばれ喜怒哀楽を分け合う家族を離れて、人間の幸せもあり得ないと考えるからである。

  例えば、わたし自身について語れば、わたしの大学合格や結婚をいっしょに喜んでくれたのは、いつも父母であり、家族であった。喜びは分かち合える人がいてこそ喜びなのであり、家族の喜ぶ顔を思い浮かべながち、苦しいときも自分を励ましてきたのである。

  家族とは日頃は空気のような存在であり、人はその大切さを忘れがちだが、それを失ったときにその存在の大きさがわかる。仮に巨億の富と名声を手に入れようが、家族もなく子どももなく孤独な人生に幸せがあるとは思えない。まして、死を前にして、そのような富と名声にどれほどの価値があろうか、わたしにとっては、家族あっての仕事なのであり、家族こそ何よりも大切なものなのである。

  従って、仕事か家族かの選択を迫られるなら、迷わず家族の幸せの方を選ぶ。

問題17

  「身なりや服装など、第一印象で人を判断するのはよくないことだ。」という意見がありますが、あなたはこの意見についてどう思いますか。

解答 反対意見

  わたしはこの意見に反対である。

  なぜなら、多くの場合、人が相手とつきあうかどうか、採用するかどうかなどを決めるのは、第一印象だからだ。

  第一印象というのは、最初に相手の外見や態度から感じた感覚を表しているが、「好感」「不快感」「やさしそう」「こわそう」「おとなしい」「活発」「生意気」「かわいい」などの言葉であらわされている。人が「話してみたい」「もう一度会いたい」と思うのは、言うまでもなく、「好感」などの好印象を受けたときである。悪印象をうけた場合は無意識のうちに敬遠される。

  そのいい例が面接試験である。清楚な服装をし、はきはき答えるよう親や教師から指導されるが、それは第一印象の重要さを知っているからである。たった一度の面接、つまり第一印象で、進学や就職といった人生が左右されるのである。

  従って、第一印象は極めて重要である。チャンスはいちど逃したら、取り返しがつかないのである。

問題18

  「男性は男性らしく、女性は女性らしくあれ」という意見があります。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 賛成意見

  わたしはこの意見に賛成する。

  なぜなら、人類誕生のときから男女の性分業は存在していたのであり、それを否定することから、男女が平等な社会は築けないからである。

  例えば、男と恩女の役割分担そのものを否定する意見があるが、人類は原始母系社会の時代から、家族の食事を作ったり衣服を繕ったり、子どもがまだ幼い頃の子育て、居住地近くで原始的な焼畑農業は主として女性が分担していた。一方、家を建てるとか、狩猟や漁獲とか、獣から家族を守るなどの力仕事や危険な仕事は男性が分担していた。この時代は母がもっとも敬われ、女性が太陽の時代であった。このように、女性が生き生きと輝いた社会は、男が男らしく男としての役割を分担し、女が女らしく女としての役割を分担していたのである。

  従って、わたしは男がもっと男らしく、女がもっと女らしくあること、そしてそれができる社会こそ、男女が共に助け合って生きていける共同参加社会だと考える。

問題19

  「年老いた両親の面倒を子どもが見るのは当然である」という意見があります。あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答 賛成意見

  わたしはこの意見に賛成である。

  なぜなら、それが人倫の道であり、人は親が様々な苦労をして、自分を独り立ちするまで育ててくれた恩を忘れるべきではないからである。

  例えば、あなたは自分自身が年を取り、身の回りのことも一人でできなくなったとき、どうしてほしいと思っているか、胸に手を当てて考えてみるといい。老人福祉施設にぽつんと置かれ、死を迎えることをほんとうに望んでいるか。おそらく否であろう。家族に見守られて最後のときを迎えることを望まない人が果しているだろうか。

  人は老いれば老いるほど、家族の暖かさがほしいものなのである。そして誰もが必ず老いのときを迎えるのである。あなた自身がこうあってほしいと思うことを、自分の両親にしてあげるのは当たり前のことではないだろうか。

  従って、わたしは老いを家族と共に過ごせるような家庭や社会を作ることが大切であり、そのための努力を国も一人一人もすべきだと考える。

問題20

  あなたが仕事を選ぶときに重視するのは、仕事の内容ですか、それとも報酬の多寡ですか。

解答 仕事の内容

  わたしは仮に報酬が少なくても、充実感のある仕事を選ぶ。

  なぜなら、仕事というのは自分の夢を実現するためのものであり、金銭だけでその価値が計れるものではないからだ。

  例えば、売れない絵を描き続けている画家であっても、売れない小説を書き続けている小説家であっても、仕事をしているのである。また、普通のサラリーマンにしても同じである。例えば、島津制作所の田中耕一さんが、今年のノーベル化学賞に決まったが、彼は会社の昇進試験を一度も受けたことがないような金銭や出世に無欲な人であった。しかも、田中さんはノーベル賞の分析手法について、国際特許を取っていない。技術を公開して、世界に普及させた方がいいという考え方からだ。偉業を成し遂げる人というのは、このような人ではないだろうか。

  従って、わたしは報酬は生活できるだけあればよく、報酬の多寡よりも、やりがいの有無で仕事を選ぶ。仕事とは自己実現の道なのである。

問題21

リサイクル

  ゴミ処理の方法が社会問題になっている。今まではゴミは回収された後、燃やされ、地中に埋められるのが普通だった。しかし、ゴミを埋める場所は限界に近づいている。そこで近年注目されているのがリサイクルだ。ゴミとして捨ててしまうのではなく、加工したりして、もう一度利用しようというわけだ。

  私たちは普段、多くの紙類を捨てている。近年特に増えてきたのが、コピー用紙だろう。パソコンで作った文書をプリントアウトしたり、それをコピーしたりして、大量の紙を使っている。これらの紙は使い終わった後はゴミになるだけである。しかし、コピー用紙テイッシュペーパーやトイレットペーパーにリサイクルできる。同じように、古新聞からは、また新聞や雑誌や本などができる。古雑誌からは段ボールを作ることができるのである。

  私たちは毎日大量のゴミを出している。しかし、ゴミ処理に限界がある以上、リサイクルによる再利用は避けては通れない問題だ。ゴミを出す私たち消費者は、ゴミを捨てる前に、再利用可能かどうかを考えなければならない。またリサイクル製品を積極的に使用するべきである。

問題22

地球を守ろう

  経済が発展する一方で、環境問題も相当深刻になってきた。深刻な環境問題の一つに森林破壊がある。我々が木を次々に切り倒したことは、多くの問題を生み出した。ある野生生物は生息地を奪われ、絶滅した。また木が少なくなったことで、山崩れや川の氾濫が起こりやすくなった。

  また都市部では自動車の数が年々増えている。自動車の排気ガスは、大気汚染に大きな影響を及ぼしている。大気汚染によって、喘息や気管支炎、肺がんなどの呼吸器系統の病気が急増している。

  工場から出される有毒ガスも大気汚染の大きな原因だ。大気汚染は「空中鬼」とも言われる酸性雨を降らせる。酸性雨は森林や農作物を枯らせ、湖の魚なども死なせてしまう。また、工場の廃水は、川に住んでいる生物に被害を与える。さらに、汚染された魚を食べた人間は病気になり、汚染された川の水を引いた田畑の農作物は枯れてしまう。

  環境汚染が更にひどくなれば、人類は破滅する。そして全ての生物が滅んでしまったら、地球はただの汚れた星になってしまう。この美しい地球を守るために、人類全体が協力していかなければならない。

問題23

国民的スボーツ

  スポーツの普及は、国によって特徴があり、それぞれの国には国民的スポーツと言えるものがある。例える、イタリアではサッカーが国民的スポーツと言える。ワールドカップではイタリアチームはいつも優勝候補の一つである。また、世界各国の有名選手たちがイタリアのプロサッカーチームで活躍していることからも、レベルの高さが分かる。

  日本ではやはり野球だろう。会社から帰ったお父さん達の楽しみは、ビールを飲みながら、テレビで好きな野球チームを応接することだと日本語の授業で習ったことがある。野球シーズンには毎日のように、試合の様子がテレビで生中継されるそうだ。

  アメリカ人はバスケットボールが好きだ。大きな選手が狭いコートを激しく動き回る。点数が入るたびに観客は立ち上がり歓声を上げる。テレビで見ていてもその興奮が伝わってくるようである。

  中国ではもちろん卓球だ。私達は子供の頃から卓球に慣れ親しんできた。どの学校にも卓球台が並ぶ運動場があり、いつも大勢の学生が卓球を楽しんでいる。オリンピックなどの国際大会で活躍する有名な選手もたくさんいて、彼らは私達の憧れの的であり、誇りでもある。

問題24

花見

  今年も春になった。野原が緑になり、花が咲いて、野鳥もいろいろ渡ってきた。大学の近くに大きな公園があり、そこは桜の名所である。今年も見事に桜が咲いていると聞いて、友達と四人で日曜日に花見に行ってきた。

  その日は朝から天気がよくて、気持ちがとてもよかった。私たちはビールとお酒とお弁当を近くのスーパーに買いに行った。花見の影響か、スーパーはいつもより混雑していた。買い物を済ませた私たちは自転車で公園に行った。

  公園の中の桜の花はちょうど満開で、見渡す限り花の海だった。少し早めに行ったので、花見をしている人はまだ少なく、ゆっくり花見ができ、花の前で写真をたくさん撮った。まもなく花見に来る人がだんだん多くなって、公園の中はとてもにぎやかになった。

  お昼には、満開に咲いている場所を選んで、お弁当とビールなどを広げた。食べながら、話したり、歌ったり楽しく一日を過ごした。今年も花見を満喫できた。やはり、青い空の下、仲間とともに自然を楽しむという経験は人間にとってとても大切だと思った。

問題25

修学旅行

  2学期の試験が終わり、やっと待ちに待った夏休みになった。3年間一緒に勉強してきたクラスメートと今までの思い出や将来について話しながら万里の長城へ向かった。

  その日は、天気がとても良かったので、皆が歌を歌ったり、笑ったりして車内はにぎやかだった。観光バスはとても速くて、一時間半もかからない間に憧れの万里の長城に到着した。万里の長城はやはりテレビで見た様子そのものだったが、巨竜のような雄大さに感動した。ついに私たちは長城の頂きに登って、遥かな太平原を静かに眺めた。涼風に吹かれて、まるで夢見るようだった。皆が万里の長城に関する物語をいろいろ話しながら、そのすばらしい風景をしっかりカメラに収めた。

  久しぶりの遠出で快く疲れ、幸せな気分で学校に戻った。この旅をきっかけに旅の魅力に取り付かれ、さまざまな楽しみを発見した。もう4年生になったので、今度の修学旅行が私たちにとって学生時代の最後の記念になるものだと思う。今写真に写っている皆の笑顔を見て、今年の夏ももう終わりなのだと感じた。

問題26

新型肺炎の教訓

  この4つの絵を見て、まず私が思い出したのは、2003年の4月から7月にかけてわが国で流行した新型肺炎である。

  新型肺炎は、SARSと略称される流行病の一つである。伝染性があり、効率的にコントロールできなかったので、瞬く間に流行していった。2003年1月に、わが国の広東省で第一例の新型肺炎の患者が発見された。新型肺炎の具体的な原因は何か分からなかったが、この病気の発生は人間の衛生習慣に関係がある。ということが分かった。その時、新聞、雑誌、テレビ番組など、いろいろなメディアが、人々に正しい衛生習慣を身につけようと訴えた。手の正しい洗い方まで教えてくれた。わが国の伝統的な漢方医薬に注目が集まったり、薬局で普段は見向きもされないマスクが人気商品となった。人々は自分の衛生習慣を見直すようになった。食事の後でうがいをする人も増えてきて、小さい子供でもごみをごみ箱に入れるようになった。

  SARSに打ち勝ったが、SARSとの戦いの中で我々は多くの代価を払い、多くのことを学んだ。我々は病気から自身の健康を守るために、良い衛生習慣を身につけなければならない。それは自分の健康のためだけでなくて、公民としての義務である。下载本文

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