作文の例:1、 高校時代の担任教師への手紙
拝啓
若葉のまぶしい季節となりました。ずいぶんご無沙汰いたしておりますが、その後、いかがお過ごしでしょうか。
さて、私こと、三年間の高校生活を終え、このたび、憧れの大学に入ることができました。これはまったく高偉先生をはじめ多くの方々の教えのお陰で感謝いたしております。幼い頃から夢見ていた通訳んじょ仕事、高校時代には先生にも話したことがありましたね。覚えてくださっていますか。
高校時代に、死に物狂いで勉強したわけではありませんので、これからが大変だろうと覚悟しております。大学での勉強は高校のそれとだいぶ違って、授業の時間数はそれほど多くはないから、自由学習の時間が十分あります。でも、レポートを書かされるから、参考書をたくさん読まなければ書けません。私にとっては、ちょっと難しいと思いますが、一生懸命に努力いたしますので、今後ともよろしくご指導ください。
先生もお体に十分気をつけて、後輩たいちの指導にお励みください。
敬具
四月二十五日 王静
高偉先生
*******************************************************************************************
2、 自然を守ろう
近年、地球環境問題がますます深刻化してきた。「温室効果」をはじめ、いろいろな環境問題がある。それで、自然が破壊されたばかりでなく、人間の生活も大きな影響を受けている。だから、みんなで、自然を守ろう。
環境が汚染されたのは、そのほとんどが人間の活動によるものだ。たとえば、普段まだ使うことができるものを捨てるなど、環境保護の意識は全くない。近年、著しい工業の発展も原因の一つだ。汚水が湖や川などに流れてしまうと多くの人が病気になる。
自然を守るために、まず、環境保護の意識の向上をテレビやラジオなどで啓発する。人びとは自分にできることからやり始めることだ。たとえば、ごみを分別してリサイクルに協力したり、余分なごみを出さないように節約することも大切だ。また、土地の乱開発などの社会問題も解決されなければならない。
よい地球環境が必要だ。そのために、みんなで自然を守ろう。美しい地球を創造するためにがんばろう。
*******************************************************************************************
3、中高生に携帯電話が必要か
中高生に本当に携帯電話が必要なのだろうか。人によって意見が違うだろうが、ぼくは、賛成派である。
その理由はいろいろあるが、ここで少しあげてみよう。まず、家族や友達との連絡に便利で、実用的だからである。次に携帯は時代の進歩と、若者の新しい物への追求を象徴するものだからである。現在否応なくデジタル化へと突き進む流行の波が、全世界を席巻している。時代の流行に敏感な中高生は、自然とこの波の流行に乗ろうとする。
また、も中高生は、携帯を使ってはいけないと言っていないし、学校の規則にも、これに関する明確な規定がない。
たしかに携帯が中高生に影響をもたらしているのも否めない事実だが、それは使い方次第であり、所持者がマナーさえ心得ていれば文明の利器なのである。
******************************************************************************************
4、 ゴミを減らそう
消費生活の安定と向上に伴い、さまざまな商品が大量に消費されるようになると、家庭やオフィスから排出されるゴミの量も年々増大し、今ではゴミ問題が深刻な問題となっている。このままでは地球が危ない。ごみを少なくする方法を真剣に考えなければならない。
ゴミを少なくするには、まず、一人ひとりができるだけゴミを出さないようにすることだ。そのためには、「必要なものだけを買う」ようにして、「包装は、なるべく断る」ことが効果的な方法である。
もう一つ大切なことは、ゴミを分別して出すことだ。ごみには、生ゴミのように肥料として使えるものや、紙やガラスのように資源として再生できるものがある。再利用できるものが多くなれば、その分だけゴミが減ることになる。
たとえ小さなことでも、一人ひとりが心がければ、ゴミを減らすことができるのである。
(2006年日语专四作文范文)携帯電話
******************************************************************************************
5、 教育について
子供のころは、人前で自分のことを褒められるのが大機いだった。だが、今の学校教育では子供をほめる機会が極端に少ないのではないだろうか。
今の学校教育は、子供の不得意な部分を伸ばす努力はするが、得意なところをさらに伸ばすようなことはしない。子供は褒められる機会が少ない。
人前で褒められることは嫌いだったが、褒められることによって、私は自分に「自信」を持つことができた、自分の存在を認められているような気持ちにもなった。だから、褒めることは実は子供にとって大切なのだ。今の少年たちが犯す罪は、自分の存在を認めてほしいというこころの叫びなのではないだろうか。少年たちがもっと褒められる機会を持っていれば、彼らは犯罪という形ではないやり方で、自分の存在を主張できたのではないか。
これは教育に関する一つの問題点だと思っている。
******************************************************************************************
6、 母の日
5月の第2日曜日が「母の日」で、毎日育児と家事に忙しい母親のための記念日である。母親がいつも子供のために何をしても当たり前だと思っているが、この日ばかりは家族は母親のために何かしてあげたいという気持ちになる。私は子供のころ、毎年、姉と母に赤いカーネーションとエプロンとかをプレゼントしていた。今年はもう大人になった私たちは何か違うプレゼントをあげようと考えている。
普段、姉と母の手伝いをしたいと思っても、勉強で忙しく、家事を手伝う時間がほとんどない。そのため、母は相変わらず毎日家事に追われている。だから、今年の「母の日」母に楽をさせてあげたいと思っている。姉と朝早く起きて、掃除や洗濯をしたり、料理を作ったりするつもりである。家事が終わって、また肩を叩いてあげるなら、母はきっとうれしくなるだろう。
******************************************************************************************
7、 アルバイト
私は昼は学校で日本語を勉強しているが、夜はレストランでアルバイトをしている。この仕事は友達に紹介してもらったのである。仕事はウエイターで、お皿を運んだり、テーブルの上を片付けたりする。店の人たちはみんな親切でいろいろなことを教えてくれるから、私ももっと一生懸命働かなくてはいけないと思う。
日本人のお客さんと話す機会があるので、日本語がだいぶ上達したような気がする。お客が笑顔で「ごちそうさま」といってくれるとき、うれしくて、大きな声で「ありがとうございました」と言っている。店長は忙しいらしくて、いつも夜遅くまで残業している。
学校で勉強したあと、仕事をするのはとても疲れる。でも、日本語の勉強にいいから、続けていくつもりである。それに、将来、自分の店を持ちたいと思っているし、いろいろな人と知り合うことができるのは楽しいので、がんばろうと思う。
******************************************************************************
8、 海外旅行
今年の冬休みに、家族4人で北海道へ雪祭りを見に行った。初めての海外旅行なので、ずっと楽しみにしていた。浦東国際空港から千歳空港まで飛行機で行き、空港から札幌市内まで電車に乗った。ホテルは市内の便利なところにあり、新しい建てられたばかりだったが、宿泊料はあまり高くなかった。
夜になって楽しみにしていた雪祭りを見物した。人物や動物や建物などの形の氷の彫刻がたくさん並んでいて、どれもこれもすばらしい作品で目が覚めるようだった。特にその大きさと美しさに驚いた。会場はたくさんの見物客でにぎわっていた。私たちのほかに、外国人の観光客もしばしば見えた。帰りにほかの鍋料理と日本酒を心ゆくまで味わって身も心も温まった。
翌日は有名な時計台やらサッポロビール園やらを見物し、次の日は開拓村を見たり温泉に入ったりして短いけれど印象に残る海外旅行だった。
******************************************************************************************
9、 友情
友情とはなんとなくよいものだろうと思う。どうしてかと言うと、友情という漢字から、友との情、友達との情というイメージがするからである。
僕はたくさんの友達を持っている。友達がたくさんいればいるほど幸せになる気がする。つまり、友達がいれば、困った時などお互いに助け合ったり、協力し合ったりすることができるからだ。それに、競争しあったり、励ましあったりすることもできるかもしれない。
もし、友情なんか要らないという人がいたら、どうだろうか。その人が困ったりしたときに、誰も話し合える人がいなくて、きっと後悔することになるに違いない。
友情とは、かけがえのないものだ、と僕は思う。ぼくは、これからも、友達を大切にしていきたいと思っている。
******************************************************************************
10、 私の母
子供にとって、自分の母親は最も大切な人だ。私もそう思う。母は私の人生で最も重要な人だ。私は子供の頃、体が弱くて、母はいつも心配してくれていた。ある日、私は原因不明のい腹痛におそわれた。母は急いで私を病院に連れて行ったが、何の病気なのか、とうとう分からなかった。私は痛くて何日もよく眠られなかった。母はずっとそばに付き添って、一睡もしなかった。毎晩、私を抱き上げたり、ベッドに横にしたり、歌を歌ってくれた。そうして、1週間経った。私の病気は急に良くなって、元気になった。
私は今でもそのことを思うと、思わず涙が流れた。私は母のことをとても感謝している。
母の愛は私心がないものだ。母は世界中で最も偉い人だ。私の母がいつまでも健康で美しい人であるようにと願っている。
******************************************************************************
11、 クラスメート
私のクラスは学生が16人しかいない。その中で、男の学生は4人だけだ。
幸い、女性のクラスメートはやさしいので、私たち男性4人が楽しく過ごしていることができる。みんな日本語が好きですが、男子学生より、女子学生の方がもっと勤勉に勉強している。だから、試験の成績は、第一位から第十二位までは全部女子学生だ。ある時は恥ずかしいと思うけれど、同時に私たち男性がもっと勤勉にならなければならないと思うのである。
でも、男性は遊ぶのが上手だ。暇がある時、いいアイディアを考え出して、みんな一緒に思いっきり遊ぶ。クラスメート16人が小さい家族のようなものである。教室は私たちの家、先生はみんなの親だ。毎日一緒に同じところに座り、同じ先生の授業を受け、同じ食堂で食事をする。とても嬉しいことだ。
みんな一緒にいられるのはなによりだ!
******************************************************************************
12、 携帯電話
最近、電車内で携帯電話を使う人を見かけるようになった。携帯電話は便利なものである。しかし、電話機の感度が今一つなのと周囲の騒音とで、どの人も一様に大声で話すので、はっきり言って周りの人には迷惑である。
電車内の音の迷惑といえばヘッドフォンから漏れるシャカシャカ音がある。シャカシャカ音は、それが原因で障害事件もおき、社会問題となった。ヘッドフォンの場合は、音も気になるが、騒音を出しながら悪びれない態度がしゃくにさわるという訴えも多い。
携帯電話も同様で、音の問題だけでなく使う人の態度が関係してくる。ぼそぼそ小声で話したのでは相手に聞こえないのだとわかっていても、狭い車内で傍若無人に堂々と声高に話されると、やはり腹が立つ。中には、自分は寸暇を惜しんで激務をこなしているのだという優越感に浸っているような人もいるが、これも気に入らない。場所柄をわきまえるというマナーを守って使ってほしいものである。
******************************************************************************************
作文の例の二 携帯電話のマナー
情報化時代と呼ばれる21世紀に入ってから、携帯電話の利用者がどんどん増えてきている。携帯電話は、いつでも、どこでも相手と連絡ができて、とても便利だ。
しかし、その便利さが、人の迷惑になったりすることもある。たとえば、音楽会、会議中、図書館、教室など、静かさな場所で携帯電話を使ったら、うるさくて周りの人の邪魔になるのだ。
このような公衆の場などでは携帯電話のスイッチを切っておいたり、どうしての必要な時には小さな声で話したりしてほしい。携帯電話の恩恵を受けると当時に、他人の迷惑にならないように、マナーを心がけなければならないと思う。
******************************************************************************************
ほかの作文例: 私の好きな一冊の本
最近、「ハリー・ポーター」という小説を読んで大変感動した。
内容は最近映画にもなって、だいたいの人は知っていると思うが、若い魔法使いハリー・ポーターとその成長を描いたものである。
魔法使いや魔女といえは、誰も陰うつな中世や宗教裁判所のことを思い出すであろう。また若者にはアニメーションに出てくる三千年か一万年以降の「宇宙」とか「超能力」の世界を想像するかもしれない。しかし、「ハリー・ポーター」はそうではない。それは我々の現実世界にいる。たった一枚の壁を超えて「9と3分の2プラットフォーム」に出れば、そこにあるのである。
そのような舞台に、善と悪、権力と個性、権威と若者など、さまざまな人間劇が上演される。いずれも生き生きとしている。その人物といい、また「世界トーナメント」の熱狂といい、いずれも現実世界の翻本なのである。読者は物語の意図する通り、ハリー・ポーターと一緒に一喜一憂できるのも、それと同じような世界に住んでいるからである。
しかし、我々は魔法ができない。「9と3分の2プラットフォーム」の壁を通り抜けることはできない。だから、フィクションはやはり作り物である。毎回物語の終わりで、我々はハリーと一緒に「苦難の現実」に戻ってくる。そこで、我々はほっとする。本について深く考える必要もない。論理小説のような後味悪い反省も思考もない。すべて「童話」なのである。(595字)
この本を、ぜひ一度読まれたい。
******************************************************************************************
私の好きな花
私はつばきの花が好きです。つばきの花の、気取らないところがよいと思います。バラは着飾った都会婦人のようで親しめません。バラはだから花嫁の純白のドレスを飾るにはよいかもしれませんが、日焼けした村娘の髪を飾るのはつばきにかぎります。伊豆大島のアンコが紺がすりをすりりと着て、髪に赤いつばきの花をさしているポスターを見たときなど、いかにも美しいと思います。つばきは都会の花とはいえません。それは静かな、田舎の農家の庭に咲くのにふさわしい花でありましょう。
ほかほかと温かい小春日和の日、眠くなるような水車のゴトン、ゴトンという音を聞きながら赤くさいたつばきの花を見ていると、ついうっとり夢見心地になります。そんな時「つらつらつばき、寒つばき……」の詩が思い出されて、一層つばきが好きになる私です。下载本文